文字通り、ブログでの不愉快な経験を語ってきていましたが、思うところあり、2007年9月に更新を停止いたしました。

ブログでの不愉快な経験

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事象の取り上げ方、記事の書き方は難しい。
マスコミ報道その他でも既に多く取り上げられているが、
一昨日、新潟・長野地域で大きな地震が起こり、甚大な被害が出ている。

なお、地震の詳細を書くことは、此処では敢えて差し控える。
被害の大きさを考えると、何と申し上げたら良いか今の私には分からないし、
此処のブログの主題からも、大幅に逸れてしまうからだ。
それでは、地震関係者の方々にも、此処の閲覧者の方々にも、申し訳が無い。
取り急ぎ此処では、お見舞い申し上げます、としか言えない私だが。。。。。


ただ、改めて思うのは、
実際に起きて、大きく報道された事件・事故・災害などの事象を、
ブログで取り上げるのは、本当に難しい、ということだ。
命を落とした方が出ていれば、尚更の事である。
言われるまでもなく、人命は重い。
どうやら、頭から信じない方もおいでのようだが、私だって心が痛むのだ
(まあ、最初から悪者扱いで、何を言っても信じないようであるが。。。)。


しかし、
一言で「関係者」と表現しても、いろいろな立場のお方がいらっしゃる。
亡くなられた方ご本人、その家族親族は言うまでもなく関係者の方になるが、
救出活動に懸命の方、必死の思いでけが人の治療に当たっている方、
原因などの調査を担当されている方、報道に従事されている方など、
本当に、見方も立場も様々なのである。
今回のように自然災害であれば、電気や水道の復旧活動に当たられている方も
当然ながら、関係者と考えるべきであろうと思う。

もっと広い視野で見るのなら、私が思うのには
その事件・事故・災害などで、それ以降の人生や生活、行動様式に
何らかの影響が出て変化のあった方なら誰でもが
程度の差こそあっても、「関係者」
と言えるのではないだろうか。
少なくとも私は、そう思うことで、他人事だと切り捨てたくはない。


そして、大きな事件・事故・災害などであれば、
「関係者」の範囲も、その規模に応じて広がっていく。
範囲が広がれば広がるほど、利害関係や感情も様々になるのだ。


そうなると確かに、全く同じ事象をブログ記事にしたとしても、
賛同する人、批判する人、多様な意見は出てくるものなのだろう。
増してや私のように、その事象の「直接の原因追究」を敢えて差し控え、
「共通する問題」を取り上げているだけなら、余計に意見は多様化する。

そしてどんなに私が、関係者の方々を心配したつもりで居ても、
その事件・事故・災害の話題すら触れて欲しくない、という方は
世の中には当然、いらっしゃるのだと思う。
私が、そこまで考えてなかったのでは、というご指摘なら
確かに、真摯に受け止めなければならないのだろう。

自分自身も、少し甘かったのかもしれない。
その点は、改めて反省している。


しかし。

どこぞのお方は、私の此処の記事を全て、頭ごなしに
「命の大切さに対する冒涜」
などと、きっぱり断定し(そう思うのは自由だが、公開断定となると話は違う)、
更には、
「何故その場(※注:事故現場のこと)に立って感じなかったのか?」
「その場面を思い浮かべることが出来なかったのか?」

などと、私が「何も感じなかった」「出来なかった」とまで
何故か、見事にハッキリと言い切っておいで
だが、
私の行動・心の中・感情を、どうして、第三者であるこの人物が
公開の場で、何の疑いもなく決め付けることができるのか
と思うと、
非常に不愉快で、また、情けない・悲しい気持ちで一杯である。


何故、私の心の中を、会ったことさえもないこの方が、
ここまで見事に、勝手に断定できるのであろうか?
曲解にもほどがあり、私は本当に悲しい。絶望している。

私は私なりに、色々、思うことがあるから、記事にしているのに。。。。
中には「重さ」を考え、敢えて書かないことだってあるのに。。。。
私の思いは、この方にとっては無視するべきものと考えられているようだ。
これは正直言って、私への「事実無根の中傷」だと受け取る。
まるで、マトモな感情が無い酷い輩だ、と一方的に断定しているからだ。


勿論、私のほうにも反省すべき点はある。
そのお方が多分お怒りになった、当該事故の発生間もない頃の記事で、
私は少々、「へぼ氏憎し」という感情を
強く出しすぎた表現をしてしまったのかもしれない。。。。。
そう、丁度今そのお方が私に対し、感情的に食って掛かっているように
(とは言え、願わくば私はここまで酷くなかったと思いたい。
 一方的な断定は避け、推測は推測と明記し、推測理由も述べているから)。

その当時の記事を見たその方は、もう頭から拒否反応になったのかもしれない。
コメントを拝見する限り、かなり感情的になりやすい方のようなので
(私も、へぼ氏憎しの感情については、あまり人の事は言えないが)、
一度拒否反応を示したら全て、悪意的解釈しか出来ないのかもしれない。


そして私も確かに、本来心配したはずの「関係者」の方がたの一部を
誤解させるような、不愉快にさせるような表現をしてしまったことは
間違いなく今後の検討課題ではある、と大変申し訳なく思っている。
改めて此処でもう一度、自分の未熟な表現と、
不愉快にさせた事実をお詫びしたい。

しかし。


しかし、その方には、発想の前提に大きな思い込みと誤解がある。
「私が、へぼ氏に《中傷》されての不愉快」《のみ》で
このブログをやっている、と断定して掛かっていることだ。
そして、死者を冒涜して利用している、とも断定していることだ。


ちなみに、
へぼ氏は、少なくとも「公開の場」で私を「中傷」したことはない
(「へぼ」というHNでは、の話でだが)。
中傷も確かに迷惑だが、それだけであれば多分私は此処まで怒らない。
「事実に反します、迷惑です」と自分のブログでしっかり表明すれば、
あとは放置もできる場合が多いからだ(全部がそうではないが)。
しかし、それで見過ごせない、リアルな人生に影響する迷惑行為もある。

私がwebで非公開にしていた素性属性を、一方的に断定したり、
信頼して伝えた内容を、勝手な判断でwebにあげたり、
という、リアルにオモムロに影響する背信行為に加え、
私信とは言えど、繰り返し「言いがかり」をつけて自分を正当化し、
「責任逃れ」の発言に終始したことから、
「自己の欲望のみを最優先し、私や第三者に危険を与える可能性」
が高いと判断し、余計に怒っているのだ。
リスキーな活動をしているクセに、自己中心的なへぼ氏だからこそ。。。。


へぼ氏が第三者に危険を与える可能性、というのは、即ち
それこそ、雪崩事故を引き起こす可能性、というのも私は十分考えている
(これをあまりハッキリ書くと、私が逆に、へぼ氏から誹謗中傷だと
 訴えられる可能性があるから、少々ぼかしていたのだが、
 そのへんの事情も、かの方は一切、考えようともしないようだ。
 あくまでもご自分からの見方しか、認めないらしい)。
今は無いへぼ氏のブログ記事には、立山でのスキー紀行が載っていたのだ
(ちなみにその後、立山でも雪崩による死傷事故が起きている)。
なので、へぼ氏のような、自己中な輩の勝手な行動が事故を引き起こし、
「事故関係者」が増えるのは、私だって許せないと思っているのだ。


確かに本音を言えば私も、お会いしたこともないだろう方々よりは、
自分自身と自分のリアル知人をどうしても、優先して心配してしまう。
「私の活動場所」で勝手な行動をするな、とは確かに、優先的に言いたい
(「私の活動」の詳細は、勝手ながら秘匿させていただく)。
が、それが即ち、八甲田の事故を軽く見ている、ということにはならない。
あくまでも、「相対的には少し軽いかもしれないが、十分重く見ている」のだ。
心配する気持ちが、一かゼロしかありえないなどというはずはない。
人間の感情は、ONとOFFの二種類しか無い訳ではない。


だから、「私は両者が関係ないとは思っていない」と何度も強調している。
なのにかの方は、その記述を意図的にスルーしているように私には見える。

私に賛同しろとまでは言わないが、多様な意見・ものの見方があることさえも
この方は、認めたくないのだろうか?
ここまで表現しないと、私の意図や思いが分からないのだろうか?


「同じ事故を起こさぬよう、尊い命が失われぬようそれを叫ぶのが正論」
というのは勿論分かるし、私だってそういう気持ちはある。
ただ、逆にweb上での発言の重さを考え、事情をハッキリ分からない私ごときが
直接の追究は、此処では敢えてしないだけだ。
人の命を軽く扱っているつもりは毛頭ないし、逆に私の個人的な感覚としては
下手に知ったかぶりの記事の方が、冒涜に近いものにも思えるのだが、
この方(と、その周囲もか?)は、「直接的な究明記事」として扱わないと、
絶対にお認めになれないらしい。
他の問題との共通点を探し、幅広く応用的に再発防止を訴えるという手法は、
不愉快なのだそうだ。


確かに、心の中でそう思うまでは自由だし、
そういう、否定的な感想を否定するつもりは無い。
でも、何故それを他人であり、立場の違う私にも「強要」するのだ?
この方、ご自分の御眼鏡にかなった「方法・手法・ものの見方」でないことが
何よりも許せないらしい(と私は受け取った)。


「危険性をもっと追求した記事を書いて欲しかった」
と思われるのは確かにごもっともだし、そう願うのは自由だとも思うが、
自分の理想とする方法・表現でないからといって、「書くな」とまで言うのは
過剰な干渉・言論弾圧にしか私には思えないのだ。


私は、自分の過去記事で、ブログでの迷惑行為について、
個人情報晒しが最も許せない、とは書いたものの、
「特定の話題を、書け、または、書くなと強要すること」
も十分に、人権侵害の迷惑行為だと思っていると述べた。
この方のなさっていることは、正にこの「強要」に当たるし、
「思い込み」による、私への中傷行為まで及んでいる。


そして、私は自分なりに、この方の言い分も考え、
反省したりお詫びしたりもして、落としどころを探っているのに、
この方は最初から最後まで、「不愉快、ヤメロ」という主張を変えず、
自分を省みることや、譲歩すら、全くなさらないのだ。



しかし。それにしても。
「人が亡くなっている」という一言、確かに、
反論しようのない重い事実を免罪符に
全て、自分こそが絶対に正しいと疑わない、自己陶酔とでも言おうか、、、、、
何か、例えは悪いかもしれないが、それこそ「某全角HN氏」が昨年秋ころか、
「善意で命を救おう!」とかいう台詞で(よく覚えていないが)、
ekkenさんなどへの粘着行為を正当化していた、善意の押し付け
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-436.html#comments
にも、共通するものを感じてしまう私である。


私の行動や内面、感情に至るまで、勝手な断定を公開の場に晒す、
それも、私が言っても居ないことまで、勝手に解釈して批判する、
解釈が私の意図と違う、迷惑だと主張しても一切譲ろうとしない、
その神経も、私にはどうしても理解できない。

それにそれこそ、そういう「思い込みだけ」の私への中傷に
「人が亡くなっているんですよ!」という台詞がいいように使われては、
本当に、亡くなられた方にも大変失礼である、と私は怒りを感じる。


この方もご自分のブログで、「人の命」の重さを感じるなら云々、と
私への批判を、論じておいでではないのだろうか。
自分の行為自体が、その主張に大きく矛盾していることにも、
全く気付かないのだろうか。。。本当に、視野が狭く感情的だ。


何はともあれ、このように、実在の事件事故災害などを扱うと、
様々な事情・立場の方がおいでになるため、中には
言いがかり中傷に近いような、ブログ主の意志を無視した勝手な解釈をし
感情的にこき下ろす人も出てくるのだなぁ、と改めて痛感した。
社会的な話題は、記事の書き方が難しいな、とつくづく思った次第である。


それでも、広い範囲の方々に、「共通の問題」を感じ取っていただきたいので、
私のほうも書き方をもっと工夫した上で、実在する事象に関連する話題は
出来る限り、取り入れていきたいのだが。。。。

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プロフィール

Author:oioioioichan
他社・他所でも別HNでブログをしています。
ここでは、ブログをしてきて経験した不愉快な思い・怖い経験に絞って、不定期更新で綴ります。
なお、危険を避けるために「素性不詳」とさせていただきますのでご協力をお願いいたします。

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